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オーバーン()は、アメリカ合衆国メイン州アンドロスコッギン郡に属する都市であり、同郡の郡庁所在地である。ルイストン・オーバーン都市圏に属する2つの主要都市の1つであり、2010年国勢調査での人口は23.055人で〔State & County QuickFacts, Auburn, Maine , 2011-12-24閲覧〕、州内では人口で第5位である。ルイストンとはアンドロスコッギン川を隔てて対岸にある。 == 歴史 == オーバーン市のある地域は元々、アベナキ族インディアンとイギリス人開拓者の間に和平をもたらしたポーツマス条約に続いて、1714年にボストンとポーツマスからの共同事業者が購入した土地であるペジェプスコット買収の一部だった。しかし1736年にマサチューセッツ湾植民地議会が、1690年のケベックの戦いに従軍した退役兵のために、この土地の多くの部分を認可した。この所有権の混乱のために訴訟が長引いた。最終的にフレンチ・インディアン戦争(1754年-1763年)の後まで開拓が遅れることになった。 1786年にミノー市の一部として最初の開拓が行われ、1802年に自治体に編入された。オーバーンとしては1842年2月24日に独立した自治体になった。「オーバーン」という名前は明らかに、1770年に詩人オリヴァー・ゴールドスミスが著した『見捨てられた集落』(The Deserted Village)に出てくる地名から採られていた。当初はカンバーランド郡に属していたが、1854年にアンドロスコッギン郡を創設したときにその郡庁所在地になった。1852年に隣接するポーランドの町の一部、1873年にミノーおよび、1867年にダンビルの全て(当初はペジェプスコットと呼ばれた)というふうに周りの町の土地を併合してゆき、面積でメイン州最大級の自治体に成長した。1868年には市制が布かれ、1917年には市政に市政委員会・シティマネジャー方式を採用したことではメイン州で初の都市になった。 当初は農園で穀物など農産物を生産していた。しかし、1823年にルイストンとを結ぶ橋が架けられ、1848年1月にはポートランドからのアトランティック・アンド・セントローレンス鉄道が開通したことで、オーバーンは工業都市に発展していった。工場の動力はアンドロスコッギン川やリトル・アンドロスコッギン川にある滝の水力から得られた。1835年、靴製造の工場が開業された。他にも木綿と毛織りの繊維、馬車、鉄製品、煉瓦および家具の工場が造られた。1860年の人口は約4,000人に過ぎなかったが、1890年には約12,000人に成長した。このころ靴製造のために多くのフランス系カナダ人が移民してきており、その多くはケベックから列車で来ていた。1960年ころまで人口は成長を続け、約24,500人になった。アンドロスコッギン川の対岸に並ぶオーバーンとルイストンはツインシティと呼ばれている。 オーバーンでは1800年代後半までに靴製造業が主要産業になった。オーバーン市章は外周に様々な靴を掛けたつむぎ車を描いており、1800年代半ばにオーバーンがメイン州の靴製造中心になっている時にデザインされた。1917年時点ではオーバーンで世界の白キャンバス靴の75%を生産していた。しかし、第二次世界大戦後靴製造業は衰退を始め、1957年から1961年にかけて大工場が閉鎖された。 ファイル:Goff Block, Court Street, Auburn, ME.jpg|コート通り、1912年頃 ファイル:Bobbin Mill Brook, East Auburn, ME.jpg|オールドミル、1910年頃 ファイル:High Street, Auburn, ME.jpg|ハイ通り、1907年 ファイル:Public Library, Auburn, ME.jpg|公共図書館、1910年 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オーバーン (メイン州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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